大穢完全版 発売直前とのことで、ふせったーに掲載していた大穢関連の元ネタゆる考察をまとめてみました。考察と言いつつ、こうなんじゃないか~というぼやきがほとんどですので、あくまで一プレイヤーのつぶやきとしてお読みください。
◆本記事は大穢 完全版発売前の考察となります。
大穢前編・ADELTA過去作のネタバレ・その他ミステリー小説・古典文学作品のネタバレ・要素を含みます。
【ふせったー】
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こちらの大穢の考察は、すべて専門的な知識に基づくものではなく、また紹介した伝説・逸話との関連を保証するものではありません。紹介している史料は2025年現在の内容となっており、これらは研究が進むことで内容が大きく変わることもあります。
少しでも日本の伝説・逸話などに興味が出た方はぜひご自身で調べてみてください。
Twitter:82datto
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目次
⓪参考文献[一部抜粋]
①大穢前編 元ネタゆる考察 鬼の伝承から読む大穢考 大江山・頼光・酒呑童子について
②大穢前編 元ネタゆる考察 汐留・大有編 大江島の歴史や源為朝・流人について
③大穢前編 元ネタゆる考察 新橋編 ポー・ルドンについて
⓪参考文献[一部抜粋]
桜田勝徳 海の宗教 淡交社.
知切光歳 鬼の研究 大陸書房.
近藤富蔵 著 八丈実記刊行会 編 八丈実記 第1巻.
小石房子 流人100話 立風書房.
原田信男 義経伝説と為朝伝説 日本史の北と南岩波新書.
高橋昌明 酒呑童子の誕生 中央公論社.
鈴木哲男 酒天童子絵巻の謎 「大江山絵詞」と坂東武士 岩波書店.
乾克己他編 日本伝奇伝説大事典 角川書店.
徳永照正 謡曲行脚.
馬場あき子 鬼の研究
曲亭馬琴 作 和田万吉 校訂 椿説弓張月 上・中・下巻 岩波書店.
谷川健一 常世論 日本人の魂のゆくえ 講談社学術文庫.
横道萬里雄・表章校注『謡曲集 下』岩波書店.
坂詰力治他編 半井本 保元物語 本文・校異・訓釈編
高橋昌明 酒呑童子の誕生 :もうひとつの日本文化
柳田國男 青ヶ島還住記
志村有弘 羅生門の怪 異界往来伝奇譚
川村奏 『大東亜民俗学』の虚実
文学・思想懇話会 編 近代の夢と知性 文学・思想の昭和10年前後
伊藤薫 八甲田山 消された真実
宮坂宥勝 空海: 生涯と思想
山内昶 タブーの謎を解く: 食と性の文化学
今井彰 鎌倉蝶
志村有弘他 日本奇談逸話伝説大辞典
平凡社 日本歴史地名大系
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①鬼の伝承から読む大穢考 大江山・頼光・酒呑童子について(元ネタゆる考察)
本編の有明Bエンドで台場が大崎を指して頼光みたいだと名指しで言った理由についてのぼやき&ゆる考察 ※ネタバレあり
・もくじ
⓪まえがき
①大崎=源頼光=酒呑童子説
②大崎VS有明説
③大崎=桃太郎説
などについて書いてます。
⓪まえがき
昭和の怪事件や小説がモチーフであると明言されてる大穢ですが、鬼の伝説・説話に関しても色々オマージュありそうな気配がしたので個人的に調べてまとめたもの。 学術的な根拠はなく、浅学のため完全に趣味程度の考察です。
※今回の考察では上代の鬼に関するものや鬼そのものの由来は省略し、仏教伝来以降の説話を中心に取扱います。
①大崎=源頼光=酒呑童子説
本編中において台場が大崎を指して明確に“まるで頼光だと思わないか”という言葉をかけました。
大崎のモチーフにはこの鬼を退治する側の源頼光だけではなく、退治される側の酒呑童子も入っているのではないかと前編を遊んでみて思ったのでその辺をふわっとまとめました。
・頼光って誰?
源頼光…史実においては平安中期頃に活躍したとされる武士。
史実においての活躍はそこまで特筆する点はなく、こと妖怪・化け物・鬼退治において伝説・逸話が多く残されている点が大きな特徴。今昔物語集・御伽草子・などなど…化け物退治のエキスパートとしての顔が有名。
頼光が退治した怪物は数多くあるが、その中でも大江山の酒呑童子の話はとくに有名。
・酒呑童子とは
酒呑童子…丹波山大江山に根城を置く鬼神。
乱暴者で大柄、盗みや誘拐などで人々を困らせる他、鬼らしく人肉を食すなどの非道を働くというのが一般的な酒呑童子像。
語源は様々あるがその一つには”捨て童子”ともする説もあり、大崎は自身の生い立ちからか本編中でも”また自分は置きざり”と言った旨の独白・両親が自殺し独り身となった過去などからも、酒呑童子の要素が大崎自身にも反映されているかも。
特に大江山というワードについては、全年齢版展開の際は“大江”と表記されることからも、発売前から明確にモチーフとして捉えられていることがわかる。
また、下で紹介する能 大江山・土蜘蛛にはいずれも源頼光が登場する。
◆頼光説の根拠
・大江山の謡曲の一部が大崎の鎧姿のイラストに書かれている
・頼光VS土蜘蛛の逸話が存在すること(後述)
・本編で台場が大崎のことを頼光みたいだといった
※謡曲…能の声楽部分のこと
大江山=鬼が出る山というくらい鬼の聖地として有名。現在の京都と福井の間の大江山のほか、滋賀の伊吹山などにも説話が残る。
鬼の住処・鬼が島は場所はここ!といった風に有力視されている場所が一か所ある訳ではなく、伝説や逸話によって異なる。
大江山の酒呑童子の伝説は能や絵巻・各種芸術作品などにも頻繁に登場。二次創作でいうと学パロくらいみんな好きだし知名度がある。御伽草子や大江山絵詞をはじめ、色々な形で流布され現在に至る。
▼大江山 ざっくりあらすじ
どえらい高貴な人
「大江山っちゅーとこに鬼さん出たらしいで! 頼光くん退治頼みますわ〜!」
↓
頼光
「頼光やで 家来連れてって変装して鬼退治行ってくるで! 四天王とかついてこいや 」
↓
頼光
「鬼の本拠地入れたわ! でも人肉食わされた! なんか鬼のボスは身の上語ってるしで、たとえ過去が重そうとて顔が良くとて許せん」
↓
「酒飲ませて酔っ払ったので寝てる隙に退治! 帰宅! 完!」
すごくざっくり言うとこんな感じ。
◆もうちょい詳しい解説
池田中納言国高(表記ゆれあり)の一人娘が丹波山大江山を根城にする鬼神・酒呑童子に攫われたということで、源頼光に酒呑童子の討伐の命が下る。頼光を筆頭に四天王として有名な渡辺綱他、藤原(平井)保昌などが山伏に変装して向かう。
それぞれが石清水八幡宮など由緒ある神社に祈念した後、翁達から星甲とお酒(神便鬼毒酒)を与えられた一行は、攫われた女に出会い鬼神たちの所業(食人他)を聞き、彼女の案内で鉄の御所にたどり着く。
神便鬼毒酒を飲んで酔った酒呑童子を切り伏せ、無事に退治を終えるというのが大まかな流れ。
本編中における人肉食・カニバリズム要素などもひかりごけ(明確にオマージュ先として挙げられている)がモチーフとなっているのならば見逃せないし、変装して鬼の拠点へ乗り込む部分も大崎が身分を詐称して大江島に乗り込む流れに非常によく似ている。
大穢で酒飲みするキャラが多いのも、もれなくベロンベロンになってんのも、参列者たちを鬼に見立てているからかもしれないし、大崎が鬼殺しで酔っ払っているのも彼自身もまた“鬼”だからかも?
◆タンブラー・各種EDのイラストからの考察
https://www.tumblr.com/kurosawarinko/690987810337996800
雑な概要をご覧いただいた上で、Tumblerに上がっている鎧姿の大崎のイラストを見てもらうと、イラスト中央とその外周に文字らしきものが書かれているのが確認できるはず。
この文章は能・大江山の謡曲であり、イラスト内にもガッツリ大江山の文字が確認できる。(刺し通し〜の部分)
酒呑童子の鬼退治を描いた作品は能の他に絵巻も数多く存在する。
日本国内で特に有名なのものは2種類あり、収蔵元の違いからサ本・逸本と呼ばれることも。大筋は変わらないが、主に大江山の位置が異なる。
大抵の図書館には詳しい解説本がおいてあるため、是非読み比べてみるべし。
その他、舞台である鎌倉・伊豆諸島各地には源氏の武士の伝説が多く残されており、本編でも源氏にゆかりのある地が多く登場する。
作中、冒頭で登場する鎌倉は、当時幕府が開かれたその場所であり、伊豆諸島各地には九州で乱暴を働いた源為朝が流されたとされ、伊豆大島・八丈島では各地にゆかりのある神社や史跡などが、そして大穢の大江島に最も距離関係が近い八丈小島で自害をしたという資料が残されている。
源為朝については大穢本編でも名前が登場するなど、見過ごせないモチーフである。
②大崎VS有明説
大崎のモチーフが頼光だと仮定すると、ファム男かつ初回固定攻略対象の有明さんの見え方がちょっと違って見えてくる。
(1)有明さん土蜘蛛説、と(2)有明さん鬼説 先の2つの説+aで(3)有明さんキメラ説 の3つをベースに色々考察してみる。
◆初期設定資料集と本編から見る有明像
(1)有明さん土蜘蛛説
・tumblerなどで公開されている有明のイラストには蜘蛛が描かれたものが多い
・源頼光が土蜘蛛を退治する説話がある
源頼光が退治する大妖怪の一つに土蜘蛛というのがいる。かつては国に反抗的だった人々を指す蔑称でもあった。先の大江山には陸耳御笠という鬼の伝説が残されているが、これを土蜘蛛とする記録もある。
https://x.com/adelta_z1/status/1852304591540658435?s=46&t=ie3k8AVJlCMYN_DR26CzIQ
有明はタンブラーやEDイラスト他、各所でアリ◯ドスだったり蜘蛛の巣張ってる絵だったり、やたらめったら蜘蛛っぽさが強調されている。本編中でも大崎と蜘蛛の巣の映るスチルが確認できる。
土蜘蛛も鬼と同様、能の演目に存在しそれ以外にも様々な媒体で後世に残されているド有名な妖怪のひとつ。本編で言及のあった絡新婦とはまた別(後述)。
京都の上品蓮台寺には頼光の名の残る土蜘蛛の塚があり、葬儀屋という職の彼に蜘蛛のイメージが付随するのも、大崎のファム男とされるのも、この言い伝えがあるからかもしれない。
(2)有明さん鬼説
・体験版部分が謡曲大江山の展開に酷似している
・初期設定資料集のゲーム理論からの考察
・意味深な腕の怪我が茨木童子を表している?
先に述べた謡曲大江山をもう少し詳しく説明すると、鬼たちは初め頼光たちを警戒しつつももてなす態度を示す。寝床に入っていった鬼の隙を見て切りかかると、文字通り鬼の形相となって襲い掛かってくる。そこをサクッと退治しておしまい…というのが大江山の話の流れ。
頼光が刀を向けるまではごくごく普通に人間と接するような態度で身の上話までしてくれた酒呑童子も、流石に寝込みを狙われてはキレるのも訳ない。
何度も警告したにも関わらず、変装して身分を詐称し、ずかずか住居へ乗り込むわ、毒酒を盛るわ、あげく寝込みを襲うと来た… これでは鬼がどちらかもはやわからない。
寝込みを襲った瞬間の鬼の豹変っぷりを知っていただいた上で、大穢初期設定資料集で明かされていた有明のゲーム理論の欄を見てほしい。
ここには文字数的に“堪忍袋戦略”が入ると推測されるが、有明さんのナチュラルに切り替わる二面性は鬼神のそれと似たものがありそう。
どちらが悪人かわかるようなわからんような、そういう感じの説話が有明ルートにおける彼の振る舞いにも反映されているんじゃないかという考察。
・腕の怪我=茨木童子説
本編では方便に過ぎなかった右腕の骨折だが、実は鬼の中には腕を切り落とされた鬼もおり、有明の怪我はそれを表しているのではないかという考察。その一つが茨木童子。
ここで茨木童子を選択したのは先に述べた鬼の四天王の一角であること・腕を切り落とされた鬼の中で最も有名であることの2点から。
・謡曲 羅生門と茨木童子
茨木童子の退治話は源頼光その人ではなく、渡辺綱の説話となる。
渡辺綱が鬼の腕を切る話は羅生門のものが最も有名だが、この謡曲よりも前に一条戻り橋で鬼が腕を切られたという説話が平家物語 剣巻に残っている。
余談だが、同じ剣巻には嫉妬の伝説で非常にポピュラーな宇治の橋姫の話も収められており、同サークル過去作”古書店街の橋姫”における橋姫のモチーフ元とも非常に関連が深い。
また、同音の茨城は本編の青海ルートにおいてもクローズアップされている。茨城(常陸・筑波)は浄土真宗の親鸞聖人にも関連深く、浄土真宗発祥とも言われる土地。親鸞に関する説話の他・親鸞と筑波の餓鬼に関する説話も残されている。こちらは地獄に落ちた餓鬼を見た親鸞が悪人を救いましょう〜的な感じでお念仏をすすめる説話。
(3)有明さんキメラ説
上2つの説に加えて、有明Aルートにて有明が絡新婦と言われているので、色々な説話における蜘蛛の要素がまとまって有明のキャラ像に反映されていることがわかる。
また、ご飯が大好きなところを見ていると先にあげた鬼の他にヒダル神系統なんかも要素に入っているかもと感じた。
調べてみたところ”磯餓鬼”という、伊豆諸島の利島特有のヒダル神のように飯食わないとぶっ倒れる妖怪がいるとの言い伝えが残されているらしい。大食いは酒呑童子とか粗暴な鬼たちの現れかとも思いつつ、こういう切り口もアリではないか。
上記の多くはあくまで本編や発売前情報からの推測が多いが、大崎周りのキャラ像に関しては明確に大江山を思い起こさせるように作られていることは確かである。
その他にも、各キャラに細かく鬼の要素が散らされているようにも取れるので、後編でも期待したい。
・その他 キャラクター雑感
◆大崎について
・元ネタ考察:大崎編
・源頼光 鎌倉が舞台の一つであること・鬼や鬼退治に関するイラストがいくつかあることなどから。
大江島のあるとされる伊豆諸島には各地に源氏の武士らの足跡をたどることもできる。体験版中でも汐留の口から源為朝の逸話が語られるなど、源氏を意識して作られていることは確か。
鎌倉の地に由来して、黒い蝶のことを関東の一部(鎌倉他群馬など)では鎌倉蝶と呼ぶ方言も。前作ウルCの第二話でも蝶が各所にあしらわれており、不吉の象徴とは別の意味もこめられているのかも。
・桃太郎
犬神家の一族の作者・横溝正史の両親の出身地であると同時に疎開先でもあった岡山 この地で執筆された本陣殺人事件などはのちに金田一シリーズとして彼の代表作となる 彼自身も実際に瀬戸内の風景に大きく影響を受けたとされており、岡山の農村をベースに古き日本の雰囲気を巧みに描いている
鬼有名な童話としてはまず真っ先に桃太郎が挙げられるのは自然なことだけれども、鬼の要素が散りばめられているのは横溝リスペクトという理由もあるかも
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②大穢 元ネタゆる考察 汐留・大有編 大江島の歴史や源為朝・流人
前編で汐留くんが話してた大江島の歴史や源為朝・流人に関する考察
有明Bルートにて有明さんが話してたタナバという女性の元ネタとか 史料を読んでのぼやき
※ふせったーURL
八丈島に残るとされる丹那婆信仰(タナバ)について、近藤富蔵・八丈実記を元に簡単に調べてみた記録
もくじ
⓪まえがき
①元ネタ考察 汐留編その1
本編中で汐留が教えてくれる大江島tipsの元ネタを調べてみた記録。
②近藤富蔵・八丈実記から読む大崎考
折檻部屋にいた遺体の男から発展し、江戸後期〜明治時代に至るまで終身島流しとなった近藤富蔵と絡めての考察。
③“タナバという女性”の元ネタについて
丹那婆信仰に関する資料としてネット上で名前が上げられていた、八丈実記を読んでみての考察。
⓪まえがき
以前手持ちの本(桜田勝徳/海の宗教/淡交社/1970)を読んでいたら、“明治時代に流人として八丈島に流された男性“がいたことを思い出したので、調べてみました。
これが近藤富蔵という人なんですが……調べてみると”もしかして折檻部屋の男や大崎のモチーフになっているのでは?”と、考察できるくらい共通点が出てきたので、ふせったーにまとめてみました。
前提として、頼光についてのこちらの考察をお読みいただくと、わかりやすいかも。
【◆鬼の伝承から読む大穢考 元ネタゆる考察】
※あくまで元ネタと思しき逸話や人物を調べてみたら面白かったよという記録ですので、信憑性や本編と関連性に関しては保証の限りではありません。
①元ネタ考察 汐留編その1
・共通ルート・豊洲の読経中に汐留が語った大江島の歴史について
法要中の汐留くんのセリフを一部抜粋・要約すると
・大江島は昔女ヶ島という名前で女ばかりが住んでいた。
・流人の源為朝が島を制圧した際に大江島と改めた。
・月宗寺は1208年に為朝の庶子が建立した。
・海流の関係で女ヶ島は隔絶されていたが、為朝の影響を受けて海運が発達した
・罪人の流刑地とされていた。
・男の罪人はとくに有り難い存在だった。
など、大江島の歴史についてかなり詳細に話してくれます。
この辺は概ね実際の現実の伊豆諸島各地に伝わる為朝の逸話・伝説とほぼ合致しています。
ただし大島・八丈島だけではなく色々な島のお話が混ざっていたり、伝説・逸話=史実とするような描写もあるので、精査する必要はありそうです。
例えば”男の罪人がありがたかった“という点に関しては評価が分かれる部分です。
江戸時代に八丈島に遠流となった流人が現地で妻を取ることは実際にあったそう(水汲み女・機織女と呼ばれる)ですが、離島という土地柄飢餓に悩まされていたことから形式上水汲みが禁止されていたほど。
他にも時代が下るにつれ流人の質も比較的話の通じる思想犯から暴行などの民事犯となったことで、島内で凶悪事件が増加するなど、問題があったことも指摘されています。伊豆諸島に限らず各地に流される流人が持ってきた文化がで重宝されるケースは日本各地に伝わっていますが、八丈島にも多くの流人の話が残っています。
・女ヶ島➡︎女護ヶ島説
本編中の女ヶ島というのは、おそらく女護ヶ島を指していると思われます。
汐留の口から語られた女護ヶ島の伝承は八丈島・青ヶ島・周辺諸島のそれをかなり踏襲しており、本編でも強く反映されているなという印象を受けました。
女人禁制の島と言えば宗像大社のある沖ノ島なんかがメジャーですが、それと違う点は女護ヶ島は現実には存在はしておらず、能や御伽草子などでその名を見ることが出来るいわばムー大陸とか高天の原のような創作上の地です。実在する八丈島・喜界島はじめ奄美群島などの島々に当てはめられた結果、主題として好まれ能や人形浄瑠璃等の創作の中で語られるに至るといった寸法です。
“女ばかりが住んでいた”と語られたところの元ネタは、為朝伝説の一部からの発展でしょうか。
為朝が現地で女と婚姻しても祟りがなかったことから島に住んでいた男女が同棲しはじめたという話が八丈島・青ヶ島に残っており、流人として流され島を制圧したという点も、近隣諸島を制圧し勢力を拡大した結果討伐のために攻め入られ八丈小島で自害した話に重なります。
この辺の南方の島を理想郷・あるいは異界として印象深く描いた点は実はADELTA過去作 古書店街の橋姫 花澤ルート等にもみられる手法で、そちらは明確に”南洋幻想”という言葉で島=別世界という異界性が強調して描かれています。
現代を生きる我々ですら離島を訪れると島特有の郷愁を感じ取れるのですから、当時本土に住んでいた庶民からすれば何十日もかけてやっとたどり着ける離島は異界も同然で、それだけ八丈島や為朝の逸話は文化人の想像力を掻き立てるテーマだったのじゃないかなと思います。
その他、蝶が要素として入っていることを見ると常世神信仰・不老長寿と結びつく&八丈島に記録が残る徐福伝説なんかもふんわり組み込まれているのではないか、と見ています。ここの根拠は死と再生の象徴とも呼ばれ、常世の神として信仰されていたこともある蝶が象徴的に描かれることから。
・月宗寺の由緒について…崇福寺
八丈島にあるお寺。建立が1208年・源為朝の子が開山など本編の記述と共通点が多い。
・伊豆諸島風土記について
1929年発行の伊豆海島風土記 伊豆めぐり という書籍があるらしい。サーチで得た情報のため、内容に関しては不明。入手の機会があれば追記します。
・悲恋の伝説について
船野さんのいう悲恋の伝説というのは、おそらくは同様に八丈島・青ヶ島に伝えられている婚約の草履のお話や、為朝によってもたらされたとする男女同棲の逸話を指しているのではないか、と思います。
1.青ヶ島・東台所神社に伝わる浅之助の祟りか
2.為朝が上陸して島の男女に同棲を勧めたことからか
3. 八丈島・青ヶ島の伝わる草履の伝承か
七夕伝承とは別で男女にまつわる伝承が複数伝えられている。
・近藤富蔵/八丈実記を読んでの気づき・元ネタ考察
八丈島の歴史や地理を知る上で非常に重要な”八丈実記”という本があります。
こちらの著者・近藤富蔵は自身が流人でありながら、八丈島についての記録を書き溜め、70冊近くを本にし八丈島の歴史編纂に大きな影響を与えました。かの柳田邦男も八丈実記の写本をもとに青ヶ島還住記などの八丈島に関する文を発表しました。
・近藤富蔵について
富蔵は文化二年(1805年)5月3日 重蔵の長子として生まれます。父重蔵は紅葉山奉行を勤めた一方、子女の教育はおろそかだったそう。富蔵は18-21の時期に越後高田の仏光寺で修業を行っており、浄土真宗の教えが彼の生涯に深く根を下ろした。そのあとで父の建てた別宅に住み、そこで流罪の原因となった殺傷事件を起こしました。
明治時代には囚人たちが一様に赦免となりますが、行き違いがあり富蔵に放免状が届いたのは76歳になった明治13年2月のこと。それ以前の明治11年に当時八丈島を管轄していた東京府が富蔵の執筆した記録を買い上げた事で”八丈実記”が生まれました。
その後八丈島を出て東京・大阪を訪ねるも、明治15年には八丈島へ帰島し明治20年に83歳で生涯を終えました。餓死者・変死者が少なくなかった八丈島に島流しとなってここまで長生きしたとあれば、大往生ともいえるでしょう。
・大崎との共通点
この近藤富蔵という人物と大崎とを見比べてみると、以下の共通点が見られます。
1.仏教徒であること。
2.肉親を思って殺人・窃盗などの罪を犯したが、実際は肉親を窮地に陥らせてしまった点。
大崎は有明Bルートにて、10年前に起こした窃盗がきっかけで祖母を死においやったと語ります。
富蔵に関しては父親が別邸でのご近所トラブルで悩んでいたところを家の身分(当時旗本には切捨御免が適応された)を利用し、悩みの種であるご近所さんを惨殺したところ、普段の横暴な振舞いから父子ともども処分を受け富蔵は島流しとなってしまいます。その後は改心して八丈島で家庭を持ち、八丈実記を記して島の文化発展に寄与しました。
3.当時の栄養状態・八丈島の飢餓状態としては珍しく六尺を超える大男だと描写・記述がみられること。
※大崎に関しては初期設定資料集から、近藤富蔵に関しては大隈三好著書を参考
為朝も同様にタッパがでけ~男として描かれます。
③“タナバという女性”の元ネタについて
大穢にて地名として登場し、有明の口からも存在に触れられた“タナバ”という存在について。
・参考資料:八丈実記について
八丈島の歴史・地理・その他マジで色んなことについて書かれてる本 先の近藤富蔵が生前に書いたものを東京府が買い上げ今に至ります。
こちらに元ネタと思しき丹那婆信仰に関する記述がみられるとのことでしたので、近所の図書館経由で取り寄せた1巻を借りて読んできました。
しっかり読み込んだ訳ではありませんが、為朝・頼光(らいかう表記)・女護ヶ島(本編における女ヶ島か)・船が大しけで沈んだけどタナバという女性が生き残ってそこから島が繁栄していった逸話など、このあたりがすべて八丈実記にて確認できました。
方言から各集落の詳細や、八丈島に伝わる史跡やそこに関する逸話など……八丈島の女は美人で本土の女より10歳くらい若く見えるってウワサらしいぞ(意訳•312P)とか、読んでいて普通に面白かったです。個人出版の百科事典って感じでした。
大体のでかい図書館なら取り寄せor置いてあると思うので興味がある人は是非。
タナ婆について書かれたのは 93P第三編 八丈名義 五村惣評各集落についての詳細を書いた部分です。
本文をざっと訳すと“船が大しけで沈んだけどタナバという女性が生き残ってそこから島が繁栄しました”・”大岡村にある小ちゃい石っころは、八丈島を興したタナ婆(タナバ)の墓って言われてるらしいぜ”てな感じです。
タナバという女についての伝承は確かに上記のように記載があったのですが、明確にいつの時代からそういった逸話が語り継がれるようになったのかは八丈実記には記載がありません。八丈島の歴史・風俗についての書籍・文献を今後読んでみて、見つかれば色々投稿しようと思います。
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③大穢 前編元ネタ考察:新橋編
EDの色味が彼のもののみモノクロであること・新橋が眼帯である理由などに関するぼやき
・元ネタ考察:新橋編
シナリオから:エドガー・アラン・ポー/黒猫
片目の猫や名前・主人公が猫を木の枝に吊るす部分などからの推測。橋姫のモルグ街の殺人といい、本当に小説のオマージュがよく出てくるサークル。
EDから:オディロン・ルドン
初期は詩や小説・音楽などをテーマに黒一色で構成される神秘主義的な作品を多く製作し、後期はパステル・油彩による鮮やかな画風を確立し画壇を総なめしたフランスのすごい画家。
ルドンが新橋のモチーフの一つに選ばれた理由は彼が刊行した石版画集”エドガー・ポーに”からか。
有名な一つ目の版画(眼は奇妙な気球のように無限に向かう)含め10点ないほどの作品から構成される画集なのですが、タイトルの通りエドガー・アラン・ポーその人に捧げられたものとなります。
新橋EDがモノクロ2値中心で構成されているのはルドンが50歳くらいまで黒一色中心の作風だったことを踏襲してのもので、歌詞に花というワードがいくつも出てくるのは同様に彼の後期の作品群を指していそう。フランスの文学者達から認められ名声を得ていく段階では精細なリトグラフや木炭を用いた挿絵などを多く制作していたのだけれど、後世では表現の幅を広げるべく油彩画やパステル画も描くように。
EDの歌詞に関係してそうなのは
顕微の鏡:クラヴォーがルドンに顕微鏡からの景色を見せたことで幻想的な作品観の構築に影響を及ぼしたとされることから
私の芽:胚芽(作品タイトル)
陰にこもった~:ルドンの作風が長く黒一色を中心に構成されていた
花:後期では花の油彩画・パステル画を多く残している
また、歌詞にあるクラヴォーことアルマン・クラヴォーはルドンが15歳頃に出会って影響を受けた植物学者。
クラヴォーが自殺した翌年には彼の死を悼むために”夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)”と題した石版画集を刊行するなど、ルドン自身強く影響を受けた人物の一人。
キャラ回りでは
・口調が大仰で芝居染みている➡ルドンが小説や戯曲などの挿絵を多く担当した
・目というモチーフを強く強調➡”目を閉じて”に代表される女性や単眼の作品群から
・鎌倉のお化け屋敷に住んでいる➡バルワー=リットンの小説 幽霊屋敷の挿絵をルドンが担当したことから? 猫の視線のようなスチルが幽霊屋敷のⅠにかなり似てる。
あくまで推測が多いですが、ルドンから拾えそうな要素はこんな感じ。後日談のタイトルがボードレールから取られたりするかも…… ※ADELTA恒例の各CP後日談はタイトルが文学者の詩から引用されることが通例。